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MAPもじこうアート・プラットフォームの活動を見に行きました

みなさん、こんにちは。毎日暑い日が続いていますが、どうぞご自愛くださいね。
さて、7月27日(土)28日(日)に開催された当寄金第7回助成事業の1つである
「MAPもじこうアート・プラットフォーム」の展示会に行ってきましたのでご紹介します。

会場は、八幡東区東鉄町にあるギャラリー・オペレーションテーブル Operation table。
外観は水色の地にかわいいイラストが描かれた、鉄筋造りの可愛い建物。
でも、中に入ってびっくり!天井から伸びた大きなライト、周囲のタイル張りの壁など、
何だか手術室の様です
それもそのはず、実は以前、動物病院だった建物を所有者の元院長先生から
若い芸術家の方々のためにと無償提供いただいているとのことでした。

展示物は門司港の歴史をたどる作品や資料のパネル展示等が中心でした。
特に印象的だったのが文字ヶ関人形です。
この人形は、かつて門司の民芸品、郷土玩具として愛されていた小さな土人形です。
戦後、柳瀬重朝と言う人が門司に引き上げてきて、
ウィスキーの小瓶にシャボン玉用の石けん水を入れて売っていました。
そのオマケに付けたのが家の裏山の土を七輪で焼いたこの人形でしたが、
皮肉なことに石けん水よりも次第にこちらの方が人気が出て売れるようになったそうです。
その後、色づけされ、七福神、動物ものや童話ものなど様々なシリーズが作られましたが、
昭和52年柳瀬氏の逝去とともに絶版になっていました。
今回訪れた展示会では、この文字ヶ関人形の再現に取組んでいる民芸好きのメンバーが頑張っていました。
ちなみに門司区のホームページに掲載されている『門司の歴史』によれば、
明治22(1889)年に、当時の門司村(当時の田浦町、田浦村、楠原村、門司村、小森江村の1町4村が合併した村)が「『文字ヶ関村』という名になりました。」という記述があります。
その後、明治27(1894)年に、文字ヶ関村は、門司町となったそうです。

今回取材した「MAPもじこうアート・プラットフォーム」では、
若い芸術家たちが様々な門司の文化や歴史を掘り起し、現代アートと融合させて発信しています。
彼らの活動は、国内だけにとどまらず、韓国や東南アジアの若い芸術家たちからも注目されています。
若い芸術家の皆さん活動にこれからも期待しています!!

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Gallery オペレーション・テーブル      ここで展示会を開いた芸術家のサイン

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味わいのある建物入口       何となく雰囲気が・・・。

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受付は昔の足踏みミシン            オーッ!!もしかして手術室?!

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文字ヶ関人形2~3cmとても小さい    試行錯誤の末、ようやく完成!!

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色合いがビビッドでとても素朴でかわいい人形たち  

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どんどん、出てくる古い資料類       門司港の古い地図 一軒毎全て名前入り

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もじこう資源・人材バンク構想       今回のハガキ大チラシの裏面 謎の時刻?

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