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MAP玄関口プロジェクト『地図ナイト』に参加してきました

2019年2月6日(水)19:00から、当寄金第7回助成事業の1つである
『もじこうアートプラットフォーム(MAP)』の玄関口プロジェクトの一環として実施された
『地図ナイト』に参加してきました。
かつてアジアへの「玄関口」として多くの人々が行き交ったこの街に、
さまざまな人たちが集う場所をつくります。

この催しは、門司港の50~60年前、さらにもっと以前の地図や写真を見ながら、
当時の門司港を知っている人から直接その頃のお話や街の様子、
そこに住んでいた人々の暮らしなどを話してもらう活動です。

筆者が実際に『地図ナイト』に参加して印象的だったことをいくつか記します。
まず、開催場所がとても印象的でした。
古いビルで室内をリノベーションして使っていました。
まだリノベ途中だそうですが、味わいがあって、ちょっと暗めの照明など、この事業にぴったりです。

つぎに印象的だったのが、参加者の皆さんについてです。
あくまでも印象ですが、二十代の若いみなさんが多く参加され、
また、国内からのゲストはもちろん、
韓国、インドネシアなど海外からのゲストも招き、行われていました。
門司港の昔のことについて多くの若者が興味を持っているんだなぁと、あらためて感じました。

広いテーブルや壁に展示されていた資料は、
現在ではさまざまな制約で、とても製作不可能と思われるような詳細な地図や、
ほかにも非常に古い写真もありました。
このような雰囲気の中で昔を知る、門司港に古くから住んでいる方々から面白く、
また時には生々しく、興味をそそられるお話を伺いました。

余談ですが、筆者もじつは門司生まれ。昭和40年代初頭頃からの記憶はあります。
ベレー帽を被り、よそ行きのブレザー、蝶ネクタイに半ズボンをはいて、
山城屋デパートの屋上でソフトクリームを食べる。
これが、子ども心に一番嬉しい日曜日の過ごし方でした。
自家用車なんてまだ高根の花、門司港桟橋通りまでは当然路面電車です。
当時、門司港一帯が賑わっていて、特に栄町銀天街は人で溢れていました!!(あぁ懐古

さて、この『もじこうアートプラットフォーム(MAP)」は、さまざまな事業を展開しています
今回は一週間の日程で、期間をとおして日中はさまざまなフィールドワークを実施。
門司港まち歩きツアーと銘打って、門司港の古い建物、市場、商店街を歩いて巡ったり、
パゴダや港湾、倉庫エリアは車で回り、旧電話局や窯元、醤油工場見学などを見学しています。
また、夜の部では今回の地図ナイト、キャバレー文化について、
旧JR本社ビルでの公開MYGなど、日替わりで講座が行われます

三年計画で考えられている『MAP玄関口プロジェクト』事業は、今年がその最初の年です。
今後、どのような事業展開を見せていくのか、どんな結果にたどり着くのか、今から本当に楽しみです。

この事業がぜひ成功するように心から祈っています

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入口はかなり古びたビルの1Fでした。      間口は狭いですが意外と奥行が深い。

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既に30名近くいます。結構、若い人たちが多い。海外からのゲストも参加。

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本日のスピーカー             若い参加者のみなさん。面白いお話と
お茶のありやの岡崎さん          古い地図や写真に興味津々です!

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門司港が塩田だった頃の地図         路面電車田ノ浦線 東本町分岐

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明治40年代の住友銀行門司支店        大正14年4月の旧門司郵便局
奥は日本銀行、当時の繁栄を誇る建物群

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JR門司港駅の周囲 旧門司三井倶楽部     JR門司港駅、夜のライトアップ式典は
                       2019年3月9日(土)18:30~

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